初めての方へ

柴又キリスト教会へようこそ!!

柴又キリスト教会は、初めての方のお越しを心から歓迎いたします。
聖書やキリスト教に興味のある方、転勤などで教会をお探しの方など、どなたでもお越しいただけます。
ぜひ礼拝・イベントなど、お気軽にご参加ください。

柴又キリスト教会では、毎週日曜日に以下の流れで礼拝を行っています。(約1時間ほど)
当日は礼拝の流れが記載してある「週報」をお渡しいたしますので、そちらをご参照のうえご参加ください。

スクロールできます
前奏礼拝の始まりにピアノの前奏があります。礼拝に向け心をしずめる時間です。
招詞司式者から礼拝の招きのことばとして、聖書のことばが読まれます。
頌栄司式者による招きのことばへ応答するために賛美を歌います。
信仰告白「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
賛美聖歌(新聖歌)を歌います。
交読文司式者と出席者が聖書のことば(交読文)を交互に読みます。
祈祷司式者が代表してお祈りします。
主の祈りイエス・キリストが教えてくださった祈り(聖書:マタイの福音書6章)を祈ります。
賛美聖歌(新聖歌)を歌います。
聖書朗読司式者が聖書の朗読をいたします。
聖書の話牧師が聖書から分かりやすくメッセージを伝えます。
応答祈祷メッセージに応答してひとりひとりが神にお祈りします(黙祷の状態で)。
献金神に感謝してささげます。(強制ではありませんので用意がなくても大丈夫です)
祈祷代表者がメッセージと献金の感謝を祈ります。
頌栄神にささげる賛美です。昔ながらの聖歌(新聖歌)を歌います。
祝祷牧師が祝福の祈りを祈ります。
賛美礼拝の最後に「主の祈り」(新聖歌54番)という賛美を歌います。


 讃美歌:新聖歌

だれでも教会に行ってよいのですか?

はい、どなたでも歓迎いたします。予約の必要はありません。

教会に行くのが初めての方、家の宗教が違う方、お子様も一緒にお越しいただいて問題ありません。

初めて教会の礼拝に行ったときはどうすればよいですか?

礼拝が始まる15分くらい前に到着されますと、ゆっくりご案内できます。

「初めてなのですが」など、声をかけていただければ幸いです。聖書や歌集、礼拝順序が載っている「週報」などをお渡しします。

また、差し支えなければ「来会者カード」にご記入ください。記入不要であれば「見学だけさせてください」と断られて結構です。

教会にはどのような服装で行けば良いのですか。何を持っていけばいいのですか?

普段着で大丈夫です。特別な持ち物は必要ありません。礼拝で使用する聖書や歌集(新聖歌など)は、受付けでお貸出ししています。

駐車場や駐輪場はありますか?

自転車は教会前に停めることができます。
駐車場は現時点で空きがございませんので、恐縮ですが公共交通機関でお越しいただくかお近くのコインパーキングをご利用ください。

礼拝では何をするのですか?

礼拝では賛美歌を歌ったりお祈りをしたりします。また、聖書を読み、牧師が聖書のお話をいたします。詳しくはこちらをご覧ください。

礼拝出席の際の費用はかかりますか?

いいえ、費用はかかりません。礼拝の中で「献金」という時間がありますが、これは「信仰に基づく神様への自発的なささげもの」のため、強制的なものではありません。 何か願い事のためのお賽銭や、会費・入場料・聴講料といったものではありません。
献金袋が回ってきますが、献金の意味がよくわからない場合は、なさらなくても問題ございませんのでご安心ください。

牧師に相談することはできますか?

はい、もちろん大丈夫です。お話を伺います。礼拝後に声をかけていただくか、事前に電話やメールで日時のご相談をいただければ平日でも可能です。

他にも聞きたいことが…

礼拝に行く際に心配なことがありましたら、お問い合わせください。安心して行けるように、なんでもお答えいたします。

20代女性

私は両親がクリスチャンなので幼い頃から教会に通っていました。
しかし、中学生の時に教会へ行く意味が分からなくなり行かなくなりました。
そこから約10年後、突然一時的に実家に戻ってきた兄からの熱い伝道が始まり「またかよ!」と思うほど毎日のようにキリスト教のYouTube を LINE で送ってきたり、毎日のようにイエス様の話や御言葉を聞かされたり、毎日リビングで聖書を読む姿を見ているうちにもう一度ちゃんとイエス様の事を知りたいと思うようになりました。

また教会へ行きたいと思いましたが、きっかけがなく困っていた時に特別伝道礼拝があると聞きそこからまた教会へ行き始めました。
そこで、ミッション生として柴又教会に来た姉妹と出会い聖書の学びや交わりを通して少しずつ聖書の事や神様の事が分かるようになりました。
また、柴又教会の栗原牧師から「これすごくいいから読んでみて」と三浦綾子さんの氷点という小説をお借りして読みました。読んでいて「お前は罪人だ!!」と言われている感じがして読むことが辛い時もありましたが、この氷点から罪人とはどういうことなのかがよく分かり、私は罪人だと気が付きました。

それでもまだ「私なんかが洗礼を受けていいのだろうか」となかなか一歩踏み出せずにいた時、ミッション生である姉妹との会話の中で「イエス様の十字架と復活を信じること、ただそれだけでいいんだよ。他に何もいらないよ。」という言葉を聞いて自分でもびっくりする
ほど涙が溢れ、洗礼を受ける決心がつきました。
また、洗礼を受けるならクリスマスがいいという私の願いを神様は叶えてくれました。
今振り返ってみると、全てが私にとって最善であったと思います。
ここまで導いてくださった神様に心から感謝しています。

70代女性

私たちは何か問題が起きないと真剣に神様のことを求めないものだとしばしば言われますが、私はまさにその様な者でした。

短大を出て社会人として新しい事を色々覚え、経験していくことは楽しく充実していました。その一方で若さゆえに見栄をはったり、小さなことに傷ついたり人を傷つけたり、人の批評をとても気にしたりと、どう生きたら良いのか抗えない息詰まりを感じていました。

とうとうある年の11月に、渋谷の教会で行われたバックストン聖会に「もう、このままじゃ苦しくて苦しくて生きられない」という思いで出かけました。足には鉄の玉と鎖をつけられてジャラジャラと重い足を引きずるような姿で渋谷の坂を登って行きました。

今思い返しますと、「いいよ、大丈夫。許すよ。」と言う人間のたわいのない許しではなく、本当に心から罪許すという大いなる者の許しが欲しかったのです。